ヒッピーについて

中南米の街を歩いていると、路上で大きな布を広げて手作りのアクセサリーや雑貨を売ったり、信号待ちの車の列に向かって大道芸をしたり、路上で音楽を演奏したりしている人たちに、よく出会います。

 

日本で生まれ育った私は、「ヒッピー」という人たちは、自分自身を厳しい社会のルールや堅苦しい規範に合わせることを好まず、社会の「枠の外」で自由きままに生きている人たち、もしくは、職を持たない若者が一定期間その自由な身分を活用して旅をしている状態なのだと思っていました。

 

インターネットで調べてみると、ヒッピームーブメントの始まりは、1960年代後半。

ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国の若者たちの反戦運動が発端にあるだろうことがわかります。

戦争ではなく愛と平和を求めた、至極当然な若者たちの思い、願い。

このシンプルな想いが、同じような想いを抱く多くの若者の共感を得て、アメリカ合衆国全土の人々を大きな波となって動かしたのです。

 

さらにその波は、アメリカ合衆国国内にとどまらず、世界中の若者を中心とした世代に受け入れられ、影響を及ぼしていきました。

 

あるもの達は、自然と調和した生活を実践するため、「農村回帰」と呼ばれるグループとなり、自給自足の生活を目指すコミュニティーを作っていきました。

あるもの達は、平和な社会を創りだす愛にあふれた本来の人間らしい生き方とはなにかという、思想的な探究心から、東洋の思想や生活様式に関心を向けました。

大量生産・大量消費の経済システムを維持し、戦争を創り出すように仕向けられた社会の枠組みや教育制度に気づき、それを克服するために、意識の拡大、魂の解放へと彼らの関心は向かっていきます。

 

意識拡大の手段として用いられたのが、瞑想や、マリファナ、LSDなどのドラッグでした。

1970年代、ベトナム戦争の終結やドラッグ規制の強化により、よりヒッピームーブメントは表社会から徐々に見えなくなっていきます。

 

 

さらに、「ヒッピーが起こしたとされる事件」やドラッグ使用に伴うイメージによって、世間からの冷ややかな視線を浴びせられるようになってしまった彼ら。

「社会の堕落者」としてのレッテルを一度貼られると、それを払拭するのは簡単ではありません。

ムーブメントの中心地、アメリカ合衆国ではヒッピームーブメントは終息に向かいます。

 

しかし、平和な社会を熱望する若者たちが起こしたヒッピームーブメントは、世界の各地にたくさんの種をまいていました。

 

特に、中南米の国々では、現在においても、階級社会の固定化や高い失業率、犯罪の蔓延という側面もあり、いまだに、ヒッピーとして各地で活動を続けている人々が多くいます。

ブラジルでは、現在、彼らを「路上のアーチスト」、「アーチストは職業として認める」法律があります。

それだけ、かれらの存在は、社会的にも認知されているのです。

 

では、実際に、「ヒッピー」として活動する彼らは、どのような思想をもっているのでしょうか?

どのような生活をしているのでしょうか?

どのような、生き方をしているのでしょうか?

 

それらの疑問を明らかにすることで、重たい閉そく感に覆われた日本の社会に生きる人たちに、希望の光を照らすことができるのではないだろうか?

 

そういう想いを胸に、リオでヒッピーをしている人たちにスポットを当て、記録を撮り続けています。